牧師室より

2013年もあと二日で終わる。今年は、多くの方と死のお別れをした。教会員の5人もの方の葬儀をした。

 1年間で、こんなに多くの葬儀をしたのは、初めてである。心を通わせていた方々を天に送ることは、悲しいことである。葬儀は「儀式」ではあるが、私たちの周りで起こった生と死の「出来事」として、皆さんと共有するような式にしたいと思っている。葬儀の式辞で、故人の生涯を追いながら、その人の人生と人柄を知っていただくように心がけている。ご遺族に、慰めになればと思っているが、その作業は、色々なことを思い出し、辛いものがある。ある心理学者が、牧師にかかるストレスは大きいと書いていた。確かに、色々なストレスがあるが、親しい会員との別れも、耐え難い悲しみとして、のしかかる。

 また、40歳の甥が急逝した。4月に結婚し、喜びの中にあったが、8月に、会社でくも膜下出血を起こし、そのまま逝った。教会員の葬儀と重なり、甥の葬儀には行けなかったが、お悔やみに行った。若い奥さんは「優しい人でした」と言い、涙が止まらなかった。自分より先に息子を失った姉の悲しみの深さを思うと、言葉がなかった。

 前々の任地で親しくしていた男性が鳩の糞のばい菌が体に入って、難しい病気に侵された。本当に仲のいい夫婦で、力を合わせ、懸命の治療をした。1年くらいの闘病であったが、11月に、81歳の生涯を終えた。闘病の間、信仰は研ぎ澄まされ、夫婦で充実した末期を過ごされた。「秋吉先生によって蒔かれた信仰の種が、この時、大きな力になりました」と言ってくださった。

今年は、多くの方々とお別れし、悲しく淋しい思いをした。しかし、人の死は、人の定めであり、全ての人が歩む道行きである。信仰者は、死の道行きにおいても、天の国を望むことができる。それが、何よりの慰めである。

126日に「特定秘密保護法案」が参議院でも可決された。日本の民主主義が「死」に向かう日として、記憶されるだろう。43年前、安保条約を岸元首相は強行採決した。特定秘密保護法案は、孫の安倍首相によって強行採決された。国民の広汎な反対の声を無視しての暴挙であった。知る権利、語る権利を著しく奪われ、ボディーブローが効いてくるように、息苦しい世の中になっていくのではないか。人の肉体的な死は避けられないが、言葉を奪われることは「生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」者とさせられる。生きるための闘いはこれからである。