◇牧師室より◇
12月8日は「真珠湾攻撃」が行われた日である。無謀な戦争に突き進み、2千万人の外国人、3百万人の日本人が戦死する悲劇を体験した。この悲劇を乗り越えようと、人権、民主、平和の「日本国憲法」が制定された。制定された当時、国民は大歓喜して受け入れた。天皇の名の下で、戦争に動員された非人間化と欠乏からの解放を望んだからである。
安倍首相は「日本を取りもどす」をキャッチフレーズにしているが、どの日本を取りもどそうとしているのか。私には、時計の針を戦前・戦中に逆戻りさせようとしているとしか思えない。
自民党の「憲法改正草案」は、天皇を元首とし、天皇を戴く文化を継承すると謳っている。国家主義が前面に出て、国民の人権は著しく制限されている。権力を規制する立憲主義の憲法観に逆行している。
そして、最近の国会の動きに恐怖を感じている。「集団的自衛権」を容認し、自衛隊を米軍の世界戦略に従うように一体化させようとしている。「特定秘密保護法」の制定は、軍事同盟の機密を国民の目から遠ざけることを狙いとしている。「国家安全保障会議」の設置もトップダウン式に戦争を遂行できる体制にしようとしている。戦争できる体制の構築に向かってまっしぐらである。
更に、道徳教育を強化し、国家の意志に従うような教育をもくろんでいる。教科書の検定も国家の意向に追従するように動いている。
このような安倍政権に対し、真正面から抵抗する勢力がない。自民党という巨大な一政党があり、その周りに、分断された多くの小政党がちょこまかと動いている。自民党に取り入ろうと懸命の小政党もある。安倍政権はしたい放題に進めている。
「日の丸・君が代」が制定された時、強制はしないと明言していた。しかし、現実は厳しい締めつけで、学校の教師たちは、思想の自由を奪われている。法を暴走させる権力の魔性を見せつけられた。
戦争できる政治体制が構築されると、権力は国民の上に大きくのしかかってくる。恐怖国家になるのではないか。どうして、こんな国になったのであろうか。私は、戦争責任をきちんと総括できなかったことにあると思っている。曖昧さに流される日本的風潮は戦争責任を直視しなかった。ドイツは、ナチズムの重い戦争責任を負い続けた。その誠実さが世界から承認されてきた。この違いは決定的である。
命と自然を守るために、脱原発を目指す。平和を実現するために、憲法を守り、戦争に繋がることに「ノー」を表明する。権力の横暴に歯止めをかける自立した市民の台頭が求められている。