牧師室より

K.S姉が1021日(月)、93歳の生涯を終えて、天に帰られた。S姉は、キリスト教主義の幼稚園に通い、教会学校にも行って、キリスト教に触れている。小学校低学年の時、お母さんを亡くされ、悲しく淋しい思いをしていた。牧師館に行き、牧師夫妻から「Sちゃん、Sちゃん」と可愛がられた。その温かい記憶が、S姉の宝であった。太平洋戦争が始まった頃、結婚され、三人の子どもが与えられた。そして、38歳の時、名古屋のルーテル教会で洗礼を受けられた。温かい教会の思い出がクリスチャンとして生きる道を見出させたのである。

私たちの教会へは1991年に転入会された。聖餐式の行われる第一主日の礼拝を、大切に守られた。いつもニコニコし、嬉しそうに教会に見えた。

5年前、ご主人とホームに入居された。私たち夫婦はしばしば訪ね、親しく会話する機会を得た。ある時、ご主人から「葬式をしてほしい」と頼まれた。私は、クリスチャンであろうとなかろうと、依頼されれば、お引き受けしている。「いいですよ、いたします」とお答えした。その後、ご主人の律儀な性格から考えて、受洗を望んでいるのではないかと思い、尋ねてみた。すると「葬式をしてもらうのだから、洗礼を受けたい」と言われた。95歳の時、ホームにご家族が集まり、感動の洗礼式をした。この洗礼は、戦中、戦後、仕事に忙しい夫を支え、育児に励まれた妻への感謝と愛情の表現であったと思う。S姉から不満や不平を聞いたことがない。いつも、微笑みをたたえ、喜びと感謝を言い表していた。妻の揺るがぬ、そして平安な信仰を見て、敬服し、同じ信仰をもって召されて逝きたいと願われたのであろう。

S姉は、心臓が悪く入退院を繰り返しておられたが、よい治療と篤い看病によって保たれていた。最期は、点滴も入らず、酸素吸入だけであったが、眠るように静かに召された。与えられた状況を大らかに、そして喜んで受け入れ、愛され、愛するご自分の人生を全うされた。