牧師室より

東京カルバリ教会の中沢 譲牧師に説教をしていただいた。パウロが書いたローマの信徒への手1215節を中心に「キリストを分かち合う」と題して話された。

パウロは、1章から11章までに、イエス・キリストの十字架と復活による救いを書いて、12章からは、救われた者の倫理へと筆を進めている。その始めは「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と礼拝論から書き出している。そして「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」と、この世の価値基準と決別し、イエス・キリストに従うように勧めている。

イエス・キリストは、神を愛し、隣人を愛する生涯を生きられた。その最期は、自分を十字架に献げる無償の愛を示して、死なれた。

その愛を、パウロは「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という御言葉で表している。イエス・キリストの生涯とこれらの御言葉の前に立つ時、戸惑いと心の葛藤を覚える。イエス・キリストが示された無償の愛に従うことは不可能である。また、パウロのように生きることはできず、これらの御言葉に従うこともできないだろう。しかし、戸惑いと葛藤が信仰の出発点ではないか。

愛に生きることができない私たちを、イエス・キリストはなお愛に生きる者として招いてくださっている。それが、教会である。教会は愛に向かって、イエス・キリストから召し集められた群れである。教会の内と外で「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という御言葉に応えていくような教会でありたい、と話された。