牧師室より

N.T姉が74年の生涯を終えて、天に帰られた。N.家との出会いは、一人娘のN子姉が、教会にひょっこり見えたことから始まった。彼女は「家出をしてきました」と言って話し始めた。色々、お話を伺ったが、精神的にバランスを壊されているようにお見受けした。このような場合、家族の理解と協力が何より大切であると思っているので、「今度は、ご家族の方と一緒に来てください」とお願いして、帰した。数日後、私の言葉を聞いてくれ、お母さんを連れてきた。N子姉は回復できると思った。

後で、N.T姉に「どうして、教会に行ってみようと思いましたか」と聞いたところ、笑いながら「私は、仏教徒ですから、お坊さんとは親しいお付き合いがありましたが、牧師とはどんな人か見たいと思って来ました」と言われた。T姉とN子姉は、それから熱心に求道をし、礼拝と入門講座に欠かさず出席された。そして、2004年のイースターに二人揃って洗礼を受けた。

N.T姉は、小さい時から、お寺に通い、信仰についての理解を持っておられ、それがキリスト教信仰と繋がっていった。N姉は、仕事のストレスから精神的にバランスを壊したようであった。真面目な人柄で、聖書の言葉をそのまま信じて、神に対し、愛よりも恐れを持っていた。聖書理解を正そうと思っていた矢先、マンションから飛んで、自死された。N.T姉の心の痛手は計り知れないものであった。私も大きなショックを受けたが、教会で聖餐式の準備の奉仕を続けてくださると聞き、本当に慰められ、力づけられた。

ご主人とも親しくなり、色々なご親切をいただいた。そのご主人が病気になり、急逝された。旅行中だった私は、呼び戻され葬儀をすることになった。一人娘のN姉を失い、頼り切っていたご主人も失い、N.T姉はお一人になられた。教会の親しい友だちに支えられ、気丈に、悲しみを乗り越えていかれた。

N.T姉は腎臓が悪く、週に3回も透析を受けていた。また、心臓も弱く、身体的にはマイナスが多かった。しかし、決して弱音を吐かず、全力で生きておられた。その努力には敬服した。

旧約を読む会や入門講座に出席し、感想を話す時は、ポイントになる御言葉を指して「私はここが好きです」と常にポジティブに受けとめていた。この積極性がN.T姉の生きる力と希望になっていた。晩年、足腰が弱ってからも「教会に行って、礼拝を守りたい」と繰り返し、言っておられた。教会墓地に入られるN家の三人を長く記念していきたい。