牧師室より

H姉に勧められて、ドキュメンタリー作家の高瀬毅氏が上梓した『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』を興味深く読んだ。

広島の「原爆ドーム」は原爆の恐怖を伝え、反原爆のシンボルとして、歴史的な使命を負い、世界遺産になっている。長崎の「浦上天主堂」も、二発目の原爆によって廃墟と化した。宗教施設であるだけに、終末的な風景で、無残な残骸を残した。「浦上天主堂」は江戸時代のキリシタン禁制を潜り抜け、更に、明治になってからの迫害にも耐え抜いた隠れキリシタンたちが、信仰を込め、30年の歳月をかけて献堂した由緒ある教会である。長崎市は市民と共に「浦上天主堂」の廃墟を残そうと動いていた。弁護士から市長になった田川務市長も、保存することに熱心であった。そのような時、長崎市は米国のセントポール市と姉妹都市として提携を結ぶことになった。田川市長は、セントポール市から熱烈な招待のプロポーズを受けた。渡米し、127日に姉妹都市の提携がなった。127日は、米国にとっては「リメンバーパールハーバー」と言われる真珠湾攻撃の日である。田川市長は1ヶ月以上、米国で内務省を含む、諸々の歓待を受けた。帰国すると、市議会で「浦上天主堂」を撤去し、建て替えると前言をひるがえした。

また、教会側でも「浦上天主堂再建委員会」が発足し、山口愛次郎司教を募金集めのために、米国に遣わした。山口司教は、全米各地で大集会を持ち、大きな成果をあげた。

これらの動きの中で、「浦上天主堂」は取り壊され、新しい会堂が建った。原爆の傷跡は消し去られた。

高瀬氏は、この事態の背景には、米国の原爆を正当化し、被害隠しの思惑が働いていたのではないかと、執拗に追跡をしている。米国からの田川市長への圧力はなかったが、懐柔政策があったと結論づけている。そして、米国が、ハードな政治や軍事面だけでなく、ソフト面からも、人心を誘導する巧みな組織を持って、世界戦略を展開している様子を描き出している。

「浦上天主堂」の遺物には「焼けたマリア像」がある。全てが残されていたら、広島の「原爆ドーム」と共に、強力な反原爆の証になっていただろう。高瀬氏は、破壊された事実から目をそらすことは人類の否定に通じると書いている。そして、福島原発事故にも触れている。原爆は悪で、平和利用の原発は善であるという宣伝は行き渡ったが、同根であると主張している。