牧師室より

K.M95年の生涯を終え、天に帰られた。父親が満州鉄道に入社したため、子供の頃から、旧満州で、親戚の暖かい愛情を受けて育った。救世軍の路傍伝道でキリスト教に触れ、生涯の信仰になった。また、指物師としての訓練を受け、大工の技術を得られた。

軍隊の召集を受けたが、すぐに敗戦となった。帰国できるものと思っていたが、汽車に乗せられ西に向かった。ウランバートルで抑留生活を強制された。友人たちが栄養失調と凍傷で亡くなっていく中、器用な大工のK兄は優遇され、2年後に無事、帰国できた。故郷の秋田で、洗礼を受けている。戦中、戦後の混乱から人間の深い罪の姿を見て、平和への思いを深くしたのではないか。

秋田で大工仕事を続けた。そして、結婚し、横浜に移られた。奥さんが亡くなったことがきっかけで、私たちの教会に見えるようになった。以来、熱心に教会生活を守られた。天涯孤独の身になり、教会が何よりの拠り所となり、教会を愛された。誠実で礼儀正しいK兄は、教会員から、信頼され愛された。置き聖書を入れる本箱、談話室の本棚、ビデオ棚など、教会の大工に関わる仕事を丁寧にしてくださった。

お一人での生活が困難になって、市役所と福祉関係にお願いし、グループホーム「ちゃんと」に入居することができた。安全で快適なホームの生活を喜ばれた。最後まで、人に迷惑をかけまいと頑張られた。ご希望や我がままを言ってくださいとお願いしたくらいである。忍耐強く、穏やかに生き、そして、神に委ねた平安な信仰を私たちに証しされた。