◇牧師室より◇
エレミヤは、紀元前626年から40年間、南ユダで預言活動をした。彼の晩年、南ユダはバビロンによって滅ぼされた。自国の滅亡を体験した「悲しみ、涙の預言者」と言われている。苦しみうめきながら、国は崩壊していく。そこでの人心の荒廃は目を覆うものであった。エレミヤは、それを見て、悲しみの中で、突き動かされるようにして、神の言葉を語り続けた。
エルサレム神殿に礼拝に来た人々に「お前たちの道と行いを正せ」と語りかけている。道と行いを正すことは、お互いの間で正義を行うことである。その正義とは、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従わないことであると言う。神殿に礼拝に来る人々は、表では信仰深そうに振る舞っているが、裏の事実は、盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、繁栄の神・バアルに香をたいている。聖なる神殿に来て、神の前で「救われた」と言っているが、実は、神殿を強盗の巣窟にしている。神の目にはそう見えると、偽りの信仰を激しく弾劾している。エレミヤの「道と行いを正せ」という言葉は、社会的弱者の生を守り、正しい裁判を行い、この世のものを神としないことである。
預言者たちは民の罪を暴き、裁きを語る。それは、聞き易い言葉ではない。それゆえに、預言者たちは皆、迫害を受け、殉教した人が多い。それでも、彼らは言葉を曲げず、真っ直ぐに語り続けている。一途な信仰に敬服する。預言者たちが、今の世界に生きていたら、激しい弾劾の言葉を語るのではないかと思う。
東日本大震災は地震、津波、原発事故という三重の被害となった。地震、津波は自然災害なので、避けられないが、回復の見通しは立つ。しかし、原発は人災で、原因の究明ができず、放射能汚染は未だに続き、解決の見通しも全くついていない。被災した15万人が故郷を失い、健康障害も懸念され、最大の被害を受けている。それなのに、経済的利益を求めて、他国に原発を輸出しようとしている。更に、原発再稼動に向けて動き始めている。
東京大学の高橋哲哉氏は、原発は弱者を切り捨てる「犠牲のシステム」であると書いている。これだけの犠牲者を出しながら、裁判において、誰にも刑事責任が問われていない。正当な裁判が持たれてよい。また、経済的利益のみを求めて、他国に対し、子孫に対し、責任を持とうとしていない。繁栄を神とでもしているように見える。
エレミヤの「道と行いを正せ」という言葉は、今の私たちに語られている言葉ではないか。