牧師室より

生まれてくる子供に障害があるか、ないかを調べる出生前診断が大きな問題になっている。薬学を専攻した利光惠子氏が『受精卵診断と出生前診断 その導入をめぐる争いの現代史』を著している。その本の中で、小泉義之氏の書いた下記の言葉に感銘を受けた。「優生思想を批判したいなら、こせこせした文句を小出しにするのではなく、まっすぐに障害者を生むべきであると主張すべきです。(中略)私は、障害者がたくさん生まれたほうが、少なくとも、闇に葬られている障害胎児を生かすだけで、よほどまともな社会になると考えています。街路が自動車によってではなく、車椅子や松葉杖で埋められているほうが、よほど美しい社会だと思う。痴呆老人が都市の中心部を徘徊し、意味不明の叫びを発する人間が街路にいるほうが、よほど豊かな社会だと思う。」

 「日本ダウン症協会」は「出生前検査・診断がマススクリーニングとして一般化することや、安易に行われることに断固反対」と表明した。

 利光氏は最後に下記のように書いている。「女性たちが、産む/産まない/産めないにかかわらず、その人として尊重されるとともに、生まれてくる子どもに障害があろうとなかろうと、産もうとする女性(カップル)が障害をもっていようとそうでなかろうと、あるいは、若かろうと高齢であろうと、“新たな命が生まれる”こと自体を歓待し支える社会の実現に、希望のありかを求めたい。」

引用した三つの文章は「命の尊厳」を訴えているが、私は「障害者たちは人間の基本的な生のあり方を示し、いびつな功利主義の間違いを教えてくれる」と読んだ。