牧師室より

Y.K姉が、現代歌人協会編『東日本大震災歌集』を見せてくださった。この歌集は会員に呼びかけ、483人の応募を得て、編集したものである。歌人たちは、大震災をマスメディアとは違い、個人的、文芸的に捉えている。その感性は多様で、言葉の豊かさと相まって、心に深く響く。

 聖書の言葉を用いた歌を紹介したい。「三万の民 海山を見殺ししこの黙示録白日の下(緒方美恵子 茨城県)」 黙示はギリシャ語ではアポカリュプシスと言い、啓示とも訳すことができる。意味は「隠されていたものがベールを取られてあらわにされること」である。その表現は天変地異、奇妙な獣による異変を描く場合が多い。緒方氏は、三陸海岸を襲った天変地異の地震、津波を「黙示録」と歌っている。私は、アポカリュプシスはキリストにおける救いの秘儀を示したものと思っている。白日の下に晒された黙示も救いに与っていくことを信じたい。

「耐え忍ぶヨブ記思わす原発の事故処理ならず人智たたかふ(岡本搖子 福岡県)」 ヨブは全ての財産、子供たち、そして、自分の体も手痛く侵された。彼ほどの苦悩を体験した人はいない。岡本氏は、原発の事故処理のために働いている人たちの苦悩をヨブと重ね合わせている。人智の及ばない核処理を、人智でたたかう彼らの負った先の見えない仕事は本当に過酷である。

「初めに言葉ありき 大津波 言の葉なし(長谷川富市 新潟県)」 ヨハネによる福音書の冒頭は「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」である。神の言であるキリストを格調高く宣言している。しかし、大震災の惨状を見る時、言葉を失う。この実感を私も現地で体験した。

「憐れみの語源は腸とぞ断腸の思ひに神は凝視したるか(黒田淑子 岐阜県)」 重い皮膚病に冒された人が主イエスに癒しを求めた。その時「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ」たと記している。この「憐れみ」は上から見下ろした憐れみではなく、腸(はらわた)がちぎれる思いに駆られたという意味である。黒田氏は、悲しみ苦しむ被災者たちを、神も断腸の思いで見つめているのではないか、そうであってほしいと歌っている。