牧師室より

先週の日曜の午後、神奈川教区に赴任してくる新任教師のための、オリエンテーションが行われた。今回は「聖餐について」の講演と討論がなされ、そして一般公開と聞いたので、参加した。

二人の方が講演された。一人は農村伝道神学校校長の高柳富夫氏。主イエスの食卓は開放的、包含的であった。最初期の教会では、聖餐は愛餐(会食)の中で行われ、誰にでも開かれていた。その後、時代の風習や他宗教の影響を受けて、閉鎖的、分離的、階層的になっていった。主イエスの食卓の対等、相互、連帯を取り戻すことが大切である、という主張であった。もう一人は、センター北教会牧師、東京神学大学教師の小泉健氏。聖餐式は復活したキリストが臨在する「聖なる儀式」である、と諸々の信仰告白文を引用された。ひとりの主、ひとつの食卓は教会の一致であり、未受洗者に与らせて、汚してはならないと力説した。「史的イエス」を強調する論と「宣教されたキリスト」を強調する論がぶつかり合って、噛み合わない講演であったが、このような会が持たれたことは一歩前進と言えよう。

25日(月)、東京地裁で北村慈郎牧師の「教師免職処分無効訴訟」の判決が出された。裁判長は小声で「却下する」と宣言し、3秒くらいで退席した。唖然とした。

その後、日比谷図書文化館で、判決を受けての報告と「支援する会」の総会が持たれた。原告は、牧師職剥奪の人権問題として訴訟を起こしたが、裁判所は、北村牧師が受けた戒規は「悔い改めをもって復帰する」という宗教問題であるから、審理できないと判断した。支援者たちの熱い思いで控訴することになった。

現在の教団執行部はカルト宗教のように硬直化し、排他的になっているように見える。排除することに熱心にならず、受容することに熱心になることが福音的である。