牧師室より

犬養光博氏は、炭鉱を閉山した筑豊の地で46年間、宣教をしてこられた。私は、犬養氏を尊敬し、週報のやり取りをし、犬養氏が出していた『月刊福吉』を愛読してきた。犬養氏は、聖礼典を執行できる正教師にはならず、補教師であり続けた。洗礼式、聖餐式をしたことはないであろう。しかし私は、犬養氏は素晴らしい「宣教者」であると思っている。

先日犬養氏から、フェリス女子大学の大倉一郎先生が同志社大学神学部の『基督教研究』に載せた論文『犬養光博の宣教と思想、その霊性』が送られてきた。日本のキリスト教界の中で、特異な宣教を展開した犬養氏の誠実さに心を打たれた。

犬養氏は同志社大学の神学生時代、「筑豊の子供を守る会」に加わった。卒業後、筑豊に赴き、そこでの宣教に終始し、昨年「福吉伝道所」を閉所し、無任所教師になられた。

石炭から石油へのエネルギーの転換で、閉山した炭鉱の町の住民は社会から周辺に追いやられ、苦難の生活を強いられた。犬養氏は、彼らと向き合い、共生し、人間になる道を模索した。在日朝鮮人戦後補償、日韓民衆和解、差別・人権運動などに関わってきた。そして、カネミ油症を出した企業に抗議する「座り込み」を42年間続けた。

犬養氏の宣教は「私は福音の真理を知っています。聞いて、悔い改めクリスチャンになりましょう」ではない。苦悩を背負わされた人々の声を聞き、具体的に交わる。そこに、キリストの福音の事実が展開されていることに気づかされ、共にある喜びを分かち合うことであった。

犬養氏は、隣人との連帯・共生から学び取り、自らを打ち砕き、新たに変革されていく自由を持っておられた。大倉先生は、それを「明識の霊性」と言っている。聖書を深く読み、柔らかな精神をもって「自分は何者であり、どこにいるのか」を真摯に問い続けたのであろう。犬養氏の宣教は、多くの牧師たちに大きな希望と勇気を与えてきた。