牧師室より

N.H兄が83年の生涯を終え天に帰られた。N兄はクリスチャン家系であった75歳の時、洗礼を受け、教会で出している『若木』に、下記のように書いておられる。二歳の時、父親が亡くなり、「山路こえて/ひとりゆけど/主の手にすがれる/身はやすけし」の讃美歌を歌った葬儀の記憶が最初であった。その後、祖母、母親、二人の兄を、同じ「山路こえて」を歌って天に送った。

キリスト教以外に行くところはなかったはずであるが、遅い受洗であった。受洗後は、熱心な信仰を貫かれ、教会に篤く奉仕してくださった。教会役員、社会委員、コーラスなどで活躍された。教会にとって、私にとって、大きな支えであった。

N兄は本当に紳士で、全てのことに対し、理性的に、そして穏やかに対処された。その態度に、私は敬服、感嘆する。

記憶に深く残ることは9条の会」との関わりである。「かながわ9条の会」を発足する時、いつも二人で参加した。井上ひさし氏など、県下の著名人が集まり、喧々諤々の議論があった。帰りに、平和について話し合った。N兄は「洋光9条の会」に加わり、会を指導された。私は「港南台9条の会」に加わり、隣り合った両会は協力し合っている。

N兄の好きな聖句はイザヤ書24節「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」であった。戦争中、爆撃を受けた恐怖の経験を話され、平和が何よりの望みであると言っておられた。

ご夫妻は、早くから老後に備え、油壺の「エデンの園」に入られた。最近は、間質性肺炎に悩まれ、入退院を繰り返しておられた。11日(金)に入院され、前日まで、奥様とメールのやり取りをしておられたが、大雪の日、静かに召された。

「エデンの園」では、色々な会でお世話をし、信頼を集めておられた。私は、ご逝去の時は「お別れ会」をしましょうと勧めていた。I.T姉に奏楽をお願いし「お別れ会」をした。大勢の方が集まって、別れを惜しんでくださった。「良く生きた者が良い死を迎える」と言われる。その良い生と良い死を全うされたN兄を長く記念していきたい。