牧師室より

神学校時代のクラス会が阪神在住の牧師たちのお世話で、京都のホテルで行われ、参加してきた。私たちのクラスメイトは37名で大きなクラスであった。クラス会は、オリンピックが行われる4年ごとに開催してきた。仲の良いクラスであったので、途切れることなく続いてきた。

今回は14名のクラスメイトと愛妻家の友が奥さんを同伴し15名が集った。神学校を卒業して45年経っているが、話し合っていくと、若い神学生時代にタイムスリップする。卒業以来、初めて会った友もいて、懐かしい限りであった。年はとっても、人柄や性格は変わってなく、神学生時代のように呼びかけ、親交を暖め合った。ただ皆、若い時のような激しい主張は少なく、優しく、謙遜になっていると思われた。

同級生といえども、年齢は相当の開きがある。37名中、5名が帰天している。そして、現役を隠退した友が半数くらいであろうか。当然ながら、年齢順ではない。参加できなかった友の返信葉書を見たが、病気で苦労している友が多い。

クラス会は始めに、帰天した友を偲び、追悼礼拝を持った。親しくしていた彼ら一人ひとりのしぐさや声が想い起こされた。

そして、参加した15名が、それぞれ、10分ずつ、2回の報告をした。牧師として生きてきた労苦と喜びを共有することができた。他の同窓会とは違い、使命を同じくしているので、互いに深く受けとめ合えることは嬉しい。欠けの多い自分が、キリストの福音宣教に用いられてきたことに対する感謝が共通する思いであった。牧師職には勝者はいない。弱さの中で、キリストの福音を証しすることに集中するのみである。

最も大きな苦労は、宣教の難しさであろう。皆それぞれ苦闘をしている。そして、辞任、転任に関することと、病気との闘いが続いているようだ。また、奥さんに支えられたということは、共通していた。「牧師夫人」という言葉を死語にしようという声もあるが、現実は牧師夫人の働きに負っている。

4年後のクラス会では、天に帰る友もいるであろうから、2年後、東京で行おうと決めた。最後に、残りの生涯を捧げていけるように、祈り合って、散会した。