◇牧師室より

小野寺時夫氏2,500人以上の末期がん患者を診てきた経験に基づいて『私はがんで死にたい ホスピス医が決めている最期』を著している。

がんは体内で起こっている細胞分裂が引き起こすものであるから、誰にも避けられない病気である。高齢社会になり、がんで亡くなるの3人に1人になっている

私も「食道に7cm に肥大したがんがあります」と言われた時、多くの方をがんで見送ってきたので、私の番が来たなと思った。早期発見と良い医者に巡り合い、内視鏡手術で幸いに全快した。医療の進歩によって、がんも早期発見と適切な治療で回復が得られる状況にある。

小野寺氏は末期がん患者の問題を取り上げている。過剰な治療や延命措置は患者を苦しめることが多く、避けた方が良いと力説している。医者は延命を至上命題とし、病院も経営的に過剰治療を施すケースがある。最近は「QOL、生の質」を大切にしようと無益な延命措置を望まない人が多くなった。

色々な死因があるが、小野寺氏はがんで死にたいと望んでいる。末期がんになれば、死期が予測できるので、心の準備や後始末、また残された日々を有効に過ごすことができる。高齢になった人はがんで死ぬと心得た方がいい。問題は二つある。一つは、がんは痛みを伴うので、平安な死を迎えるため、痛みを取ることを適切にしてもらう。日本は疼痛緩和に対する配慮や技術が遅れているそうで、治療に専念する医学と共に、安らかに最期を迎えられる医学が求められている。

二つ目は「死の受容」である。死は悲しく、辛いことであるから、死ぬのはイヤで、生きたいと誰もが思っている。しかし、死は確実にくる。その死をどのように受け入れていくのか。若い人、小さい子どものいる人、働き盛りの人が苦しむのは当然である。小野寺氏は、どのように生きてきたかによると言う。死について、我がこととして真剣に考え、また人を大切にし、やり甲斐をもって精一杯生きることである。そして、自分の「死生観」をしっかり持つ。「良く生きた人が良く死ぬ」という言葉は真実である。病人に負担をかける見舞いは慎むべきである。納得させられることが多かった。

「死は神の決めること」と信じて不穏を見せなかったクリスチャンの最期、そして小野寺氏の奥さんは三代目のクリスチャンで、芯の強い最期であったことを書いて、信仰者の「死の受容」の姿も紹介している。