◇牧師室より

 716日、代々木公園で行われた「さよなら原発10万人集会」は安保闘争以来、最大の集会であった。原発事故を受けて、危機感を持った市民が、動員されたのではなく、自主的に集まった集会であった。子ども連れ、お年寄り、そして車椅子の参加者も多かった。参加人数は主催者から17万人、警視庁から75千人と発表されていた。10万人もの違いはどうしてなのか。毎金曜日の夕方、首相官邸前で抗議の声があげられている。この声を政府はどのように聞くのであろうか。経済と雇用を盾に、大飯原発を再稼動させた。アジア・太平洋戦争に突き進んでいったように、原子力政策も後戻りできない構造的な力が働いている。

核の平和利用という美名の背後に、時が来れば、核兵器を作る能力の保持を目論んでいるのではないかと危惧していた。

1955年に制定された「原子力基本法」の第二条は「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」と謳われていた。ところが、620日に改定された第二条の2項に「前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」と追記されている。原発を廃棄していこうという考えは毛頭ない。国際基準を満たし、安全を確保して進めると言っている。それどころか、「安全保障」という言葉が加えられている。これは、核兵器への道を開くとも受けとめられる。政府は否定しているが、権力者たちの言葉使いに騙されてきた経験は数知れない。

命の尊厳を守り、平和を求める、また、後世に処理できない核廃棄物を残さないという視点で考える人倫の問題である。モンゴルに核廃棄所を作る計画があるそうだが、もっての外である。主イエスに従う教会は諦めずに声をあげ続けることが求められている。