◇牧師室より

教会創32周年記念礼拝に、仙台市民教会の川上直哉牧師をお招きして、礼拝を捧げた。川上牧師は、被災者を支援する「東北ヘルプ」を立ち上げ、事務局長をしている。説教では、被災地でパンを分かち合う嬉しい奇跡を幾度も体験し、教会はみ言葉を分かち合う群れであると語り始めた。そして、礼拝で歌った讃美歌409(すくいの道を)から「主の教会は ただひとつ」という教会への信仰、交読した詩編32篇から、罪と過ちを告白し赦しを受け、慈しみに生きる幸いを話された。前夜、式次第を渡していたが、とっさに、自由に語られる姿勢に敬服した。ガラテヤ書69節「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります」というみ言葉を中心に語られた。「善を行う、励む」の主語は「我々」という複数で、共同で善を励むことである。また「たゆまず、飽きずに」という言葉は「志を失うことのない」という意味で、苦難を見つめ、神の御心を問いながら、ひたすらに生きることであると語られた。

午後の講演会は「祈りによらなければ」と題して話された。被災者は大きな苦難を負い、そこには、分裂と分断が起こり、思いやりの心を失った状況がある。しかし、希望もある。その希望は「客」として、被災者に寄り添うところから始まる。

多くの支援団体は、成果を競い合い、それを宣伝する。教会の支援は、被災者のあり様を丸ごと受け入れ、教会員になることなどを求めず、要求されたことに応え、できなければ、即座に撤退する。そして、支援に漏れて苦しんでいる人々に心を向けている。その姿勢が信頼を得てきていると話された。

支援には、三つの原則がある。まず「準備して、待つこと」、そして「新しく、創ること」、そのために「祈ること」である。その祈りに関して、ボンヘッファーの言葉を引用された。神なき状況で、神の前で神と共に生きる。それは、人間の無力と苦難のただ中で、神のみが助けをくださるという砕かれた祈りである。