◇牧師室より

 朝日新聞に「死刑囚の父へ『生きて償いを』」という記事が掲載されていた。大山寛人氏の父・清隆死刑囚は、20003月に、妻を浴槽で溺死させた後、交通事故を装って海に沈めた。その2年前に、養父を殺害し、多額の保険金を受け取っていた。20116月に、最高裁で死刑が確定した。寛人氏は、早稲田大学で、自分の経験した辛い思いを語った。

 小学6年生の時、母は誤って海に落ちて死んだと聞いていた。中学2年の時、父が逮捕され、真相を知り、父を憎んだ。高校を3日で辞め、不良少年の道を歩んだ。親、食事、寝場所など、当たり前の生活がないことに苦しみ、二度も、風邪薬を多量に飲み、自殺を図った。

 17歳の時、一審で、父に死刑判決が出た。「ボロクソに言ってやる」と思って、初めて拘置所に面会に行った。父が涙を流し「ごめんな」と何度も謝る姿を見て、何も言えなくなった。週に1度、120分、200回以上拘置所に通い、事件を起こした動機を聞いた。

 母を奪った行為を許せないが「一緒に生き、考え続けて欲しい」と思うようになった。二審では、証人として出廷し、死刑回避を訴えた。

 今も眠れない日が続き、死の間際に「ひろくん」と叫んだという母の声、海に浮く母の背が脳裏に浮かび、自分の悲鳴で目を覚ます。

 寛人氏は「自分も家族を殺されたら相手を殺したいと思う。死刑反対とは言えない。正解はない。でも、遺族が望まない死刑って何なのでしょう」と語ったという。

 裁判員制度が始まって、刑が重くなる傾向にある。惨たらしい映像を見、被害者の悲痛な訴えを聞けば、重く判断するだろう。極刑(死刑)も多くなっている。犯罪に対しては、それなりの刑罰が科せられるのは当然である。しかし、国家といえども、人の命を奪う権利はない。寛人氏の苦悩はいかばかりかと察する。苦しみながらも、彼が言うように、加害者には、一緒に生きて考え、罪を償い続けていくことを望みたい。

 先進国と言われる国の中で、死刑制度を持つのは日本と米国くらいである。国家権力の野蛮を認めるべきではないし、国家による殺人(戦争)を放棄している日本は、なおさらのことではないか。