◇牧師室より

 TM姉が82年の生涯を終え、天に帰られた。M姉は台湾で生まれ、幼稚園時代から台北幸町教会に通っている。聖句を暗唱し、子ども讃美歌を覚える、楽しい教会学校を経験している。しかし、戦争は拡大し、物心ついた時は、厳しい戦時下にあった。敗戦の翌年、1946年のイースターに洗礼を受けられた。先の見えない生死の狭間で、神に委ねる大きな決心をされたのであろう。受洗の時「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」というみ言葉を受け、このみ言葉に支えられてきた。受洗時の固い決心が生涯、信仰を貫いて生きるものとした。転居先で通った9教会の名をあげ、教会生活を中心に過ごしたと書き残している。

 T.R兄と結婚し、二男二女に恵まれた。大学教授の妻として多才な趣味を生かす、幸いな生活を送られた。Tゼミの同窓会にも出席し、優しい人柄が慕われていた。

 私たちの教会には、伝道所時代から関わり、Tご夫妻は献身的に教会に奉仕してくださった。『若木』に「横浜港南台教会として堅く立たせていただけるように、神の負わせるものだけを、進んで引き受けるのが、私の新しい教会に在る日々の望みであり、喜びである」と書いている。その言葉のように、M姉は労苦を惜しまず、教会のために働かれた。

 教会のお花をいつも生けてくださり、病気で来られない時は、花屋に電話して、指定した花を届けるように手配された。和紙のちぎり絵のカードやクリスマスのリースを教会で指導してくださり、多くの方がカードを利用し、リースを楽しんだ。また、音楽、芸術も愛され、美しいものがお好きであった。

 仲良しご夫妻でしたから、ご主人のご逝去は大きな痛手で、その頃から、健康を少しずつ損い、在宅が多くなった。そして、ご長女の見守る中で、苦しみなく平安の内に召されて逝かれた。M姉の信仰と生涯を記念していきたい。