◇牧師室より

北村慈郎牧師の裁判の1回口頭弁論が26日(木)に行われた。北村牧師が伝道、牧会していた紅葉坂教会は、洗礼を受けていない人が聖餐に与ってもよいかどうかについて、数年かけて学びを続けてきた。教会総会で、よいという結論を出し、教会規則も変更した。規則変更は教憲、教規に反するという理由で教団は受理していない。

未受洗者も聖餐に与ってもよいとする考えをオープン・コミュニオン(以下−オープン)、従来通りの洗礼を受けた者だけが与れるとする考えをクローズド・コミュニオン(以下−クローズド)と言っている。

北村牧師は常議員会で、教会がオープンを決断した経緯とその実践について、発題することを求められた。その発題が契機になり、紆余曲折の議論の末、教憲、教規違反と見なされ「免職」となった。北村牧師はご自分を「免職牧師」と名乗っている。

「免職」は牧師職を剥奪されることであるから、最も重い戒規処分である。この免職処分を巡って、教団は紛糾してきた。

聖餐式に関しては多様な理解がある。教会の規則を守り、クローズドでなければならないという主張がある。これは、教会の長い伝統であった。一方、聖書学的、宣教論的に見た時、オープンが福音的であるという主張もある。ある教派はオープンを選択している。聖餐式論争は、教会の「真理問題」に関する議論であり、その問題に関しては戒規、処罰の対象にしないというのが常識、暗黙の了解である。

聖餐式の問題は神学論争であるから、裁判の争点になり得ない。北村牧師に対して、免職に至る手続きと決着の仕方に人権侵害があり、地位回復を求める訴えである。教団の中での話し合いによって、解決することができず、裁判に持ち込まれたことは本当に残念である。

1回口頭弁論には170名もの傍聴者が詰めかけ、大変な熱気であったという。神学的に問わず、政治的に決着しようとする硬直化した教団執行部に怒りの声が押し寄せた光景と言えよう。裁判長は、あまりにも多い傍聴者のため、途中で入れ替えを認めたというから驚きである。クローズドを支持する人々も北村牧師支援に参画している。今後の裁判を注視し、北村牧師を支援していきたい。