◇牧師室より

受難週を過ごした主イエスは深い孤独の中にあった。毅然とエルサレムに向かう主イエスを見て、弟子たちは驚き、恐れた。彼らは、今からローマ帝国からの独立、解放をもたらしてくれる、その時、自分たちはどの地位が得られるかと虎視眈々と窺っていた。十字架の苦難と復活を再三予告したにもかかわらず、聞く耳を持っていなかった。

ベタニアのマリアは、主イエスが来られてから、み言葉に聞き入り、振る舞いを見つめた。彼女は、主イエスは死に赴かれる決意をしていると察した。その時、高価で、純粋なナルドの香油を惜しげもなく注ぎ、献げた。

主イエスを裏切ったイスカリオテのユダは「香油300デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と叱責した。他の弟子たちも、マリアの行為に憤慨して、互いに言い合った。主イエスは「わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」と言われ、香油注ぎを甘受している。マリアは死に赴かれる主イエスに、葬りのために最大の愛と信頼を表し、お別れをしたいと願った。誰も理解していなかった時、マリアだけが理解していた。主イエスにとって、どれほどの慰め、励ましであっただろうか。十字架の死に向かう後押しとして受け止め、「福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」とマリアの香油注ぎを喜んでいる。

受難週は主イエスの孤独と苦難を想起しながら、祈りを合わせたい。