◇牧師室より

渡部良三氏の『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』は1994年に刊行されたが、青山学院大学での講演を収録し、昨年の11月に再刊された。戦場の生活と軍隊の実像を約七百首の歌に詠み、復員する時、軍衣に縫い込んで持ち帰ったという。

渡部氏は内村鑑三、政池 仁などの無教会の非戦、反戦信仰を父親から受け継いでいた。彼は学徒出陣で中国に送られた。そこで、日本兵になるための教育として「八路軍」の捕虜として捕縛されていた5名を銃剣で突いて、虐殺するように命じられた。彼は聖書の言葉に従い、拒否した。「『殺す勿れ』そのみおしえをしかと踏み御旨に寄らむ惑うことなく」。「信仰ゆえに殺人(ころし)拒むと分りいてなおその冠りをぬげと迫り来」。

虐殺を拒否したため、凄まじいリンチを受けた。「『死』に比べ凄(さむ)しきリンチに今日も耐ゆ生命の明日は思わず望まず」。「天皇(すめらぎ)の赤子の軍になぶり殺しうくるとも吾は踏みたがうまじ」。

中国戦線に従軍し、多くの戦友を失った。「これほどの数多若きを死なしむる権力とはなに国家とはなに」。「死にし戦友(とも)『天皇陛下萬歳』と叫ばざり今野も小原も水欲りしのみ」。

父親から「反戦をいのちの限り闘わむこころを述ぶる父の面しずか」と諭されている。その父親も逮捕された知らせを聞く。「故里の父囚われし一字ありて親族の浴ぶる八分おそるる」。

そして、敗戦を迎える。「『聖戦』の旗印かかげて罪もなき人死なしめし報いきたりぬ」。「『聖戦』は終えたりとうか『終戦』の新語もつくる大臣司ら」と戦後処理を批判している。戦争責任に対する見方も厳しい。「天皇の戦争責任なしとうはアジアの民族の容れぬことわり」。「戦争の責任ぼかされて歪みゆく時代の流れを正すすべなし」。しかし、「強いられし傷み残れど侵略をなしたる民族のひとりぞわれは」と自らの問題として捉えている。