牧師室より

海渡雄一氏の『原発訴訟』を読み、衝撃を受けた。海渡氏は弁護士として、30年間原発訴訟に関わり、その激しい闘いを誠実に報告している。岩波新書の小さな本であるが、内容は恐ろしい。読んだ人は脱原発に方向転換をするであろう。

原発が立地された全国各地で、設置許可取消、運転停止、更に、被曝労働者の救済訴訟が、何十件と行われ、今も係争中である。裁判では、極めて高度な科学技術に関する議論が交わされている。知識のない私には理解できないことが多い。

驚くことは、原発事故の多さである。小さな事故もあるが、危機的な事故も多発し、死者も出ている。その事故の隠蔽、データの捏造が恒常的に行われている。事故の責任を感じてか、自死者まで出ている。

下級審において、2、3の原告の勝訴もある。廃棄物を再処理して活用しようという「もんじゅ」裁判は名古屋高裁で勝訴を得たが、最高裁では控訴棄却された。最高裁では全て棄却、却下されている。被曝者たちの労災認定も容易には認められていない。

裁判官も原発の知識に関しては、素人で分からないことがあるだろうが、海渡氏は、彼らの行政追認の姿勢に落胆し、怒っている。朝日新聞の「原発と司法」と題するインタビューで、海渡氏は次のように語っている。「裁判官の選ばれ方に問題がある。司法研修を終えてから裁判官の世界だけにいると、上司の意見や最高裁の動向に敏感になりがちで、行政に対して厳しい判断を下すことは難しくなります。」

私自身は、原発に警告を出し続けた高木仁三郎氏の本を読んだ。また、青森県六ヶ所村の核廃棄物リサイクル工場の危険性を発信している岩田雅一牧師のレポートを読んでいる。放射能が科学的に処理できない状況での原発は反対であると思ってきた。しかし具体的には、東海地震が起こった場合、直撃される浜岡原発停止に署名をしたくらいである。

原発は、人間の「生」に関わる生き方、文化の問題である。命に対する対応が、その国の文化を表すバロメーターと言われている。海渡氏は「本気で原発を止める気概を持て」と訴え、自然エネルギーの促進のための法整備を提案している。