◇牧師室より

辺見 庸氏が『瓦礫の中から言葉を−わたしの<死者>へ』を著している。その中で、堀田善衛の『方丈記私記』に出てくる「人間存在というものの根源的な無責任さ」という言葉を幾度も引用している。その堀田善衛の言葉を、辺見氏は「おのれというものの根源的な無責任さ」と言いかえている。自らを漠然とした「人間存在」ではなく、「おのれ」として見つめている。おのれを見据え、朦朧とした鵺(ぬえ)から脱却し、真の自立を模索することが辺見思想であろう。

チェルノブイリの原発事故が起こったことを、私はプールからの帰り道で知った。慌てて、ラーメン屋に立ち寄り「テレビをニュースに変えて」と言って、衝撃的な映像を見た。その後の報道やレポートを読み、被害の甚大さに震撼させられた。

スマトラ沖地震はマグニチュード9.1であった。人や家が津波に飲み込まれていく映像を見て、こんな恐ろしいことがあるのかと思った。死者、行方不明者は30万人と言われている。スマトラ沖地震は東日本大震災に比べると桁が違うほど大きい。福島原発事故とチェルノブイリ事故はレベル7と、同等に見られている。

日本で起こったことと外国で起こったことでは受けとめる比重が全く違うことを痛感している。同じ日本で起こったことでも、被災者と私の間には大きな深淵がある。この乖離を超えられない私の無責任さを改めて思い知らされた。