◇牧師室より◇

チャップリンのヒットラーを皮肉った『独裁者』を観た時、感嘆した。ヒットラーが台頭してきた1940年に公開されたというから驚きである。更に、その前に公開された『モダン・タイムス』は人間が機械の歯車にされている悲喜劇をユーモラスに描いていた。彼は、社会に対して、鋭い批判的な視点を持っていた。日本にも、チャップリンに憧れるタレントは多いが、彼ほどの社会批判を表現する人はあまりいない。芸能人、スポーツ選手などは社会的発言をしない、できないようだ。

タレントの山本太郎氏は、はっきり「脱原発」を表明した6万人も集まった、明治公園での「さよなら原発」集会に、私も妻と参加した。千駄ヶ谷の駅から、今まで経験したことのない大変な混雑であった。

集会では「反原発」を主張する著名人たちのスピーチがあった。その中で、山本氏もスピーチした。

山本氏は下記のように語っている。3・11以降、僕の人生も大きく変わりました。それはどうしてかというと、『生きていたい』と思ったのです。生きていないと、どうしようもないではないですか。それで、自分一人生きていてもしょうがないのです。ここにいる皆さんにも、ここに来られなかった世界中の人たちにも生きていてもらわないと、意味が無いのです。(中略)いま僕たちはこうやって集まっている間にも、被ばくし続けている人たちがいます。でもそのことをはっきり伝えて、動きにできる政治家は、どのくらいいるでしょうか。政治家たちが世の中を変えるということは、もうない話だということがはっきりしたと思います。(中略)いま大人がするべきことは、子どもを守ることです。そのためには、行動を起こすことです。ぜひ力を貸してください。」

チャップリンほどのユーモアはないが、真っ直ぐに語っている。彼はそれ以後も、同じ主張を続けているが、仕事の依頼は激減し、収入は10分の1になったそうである。

原子力行政は言葉を奪う社会構造を作り出している。マスコミも外国で起こっている異議申し立てのデモは報道するが、日本での「脱原発」集会やデモは無視、あるいは小さくしか扱っていない。自由な言葉を保障することが民主主義ではないか。