◇牧師室より◇

月刊誌『世界』は毎月「アムネスティ通信」を連載している。11月号はトロイ・デイビスの死刑執行問題を取り上げている。トロイ・デイビスは警察官を殺害した容疑で1991年に死刑判決を受けた。おもに目撃者の証言に基づいていた。死刑判決後、9人の目撃証人のうち、7人が証言を撤回するか、変更した。警察の圧力があったという申し出もある。アムネスティは減刑を求めて100万人の署名を集め、世界の300ヶ所で抗議集会を開催した。しかし、今年の9月21日に死刑が執行された。トロイ・デイビスが死刑囚となった後、米国では90人以上の死刑囚が無実であることが判明し、釈放されているという。

『世界』の同じ号に、ハワイ大学のデビッド・T・ジョンソン教授が「死刑は特別か?」と題して、死刑問題について寄稿している。米国では、死刑の特殊性から被告人を保護する特別な、スーパーデュープロセス(超適正手続き)が用意されている。そして、陪審員の一人でも反対すれば「死刑判決」を出させない。その状況でも「誤審」がある。1973年から1995年の間に下された死刑判決のうち、上訴審で覆された「誤審率」は68%もあった。三件のうち二件が、重大な欠陥のために覆っていることになる。日本の場合、死刑に関わる事件も通常通りに行われ、特別扱いされていない。その法的不備を12項目あげて指摘している。

日本では、被告人を保護する超適正手続きはなく、被害者家族の恨みの募った証言を認め、更に裁判員の多数決で「死刑判決」が出せる。「冤罪」になる可能性は高くなる。

先進国と言われる国々の中で「死刑制度」を持っているのは日本と米国だけである。EUは死刑制度を持つ国の加盟は認めていない。

日本のある裁判中、絞首刑は残虐で、憲法に違反するのではないかと議論された。米国のように、薬物注射による苦しまない死刑であっても、国は人を殺す権利を有しているのかを問う必要がある80%を超える人々が死刑制度の存続を望んでいるというが、自分を正義の側に位置づけることは危険である。軍隊を持たず、戦争しないと、国家による殺人を放棄した憲法を持つ日本は「死刑制度」も止めるべきではないか。