◇牧師室より◇

俳句は季語を入れ、5、7、5のたった17字で表さなければならない。私には難しい文学表現で、敬遠気味であった。

「信徒の友 10月号」の読者文芸「俳句」欄に「後ろにはいつも夫(つま)居し蛍狩」(川崎市 麻生和子)が選ばれていた。選者の星野和子氏は「後ろにはいつも夫が居た安らぎ。蛍狩の想い出はそのまま作者が夫と共に歩んだ年月のことのように受けとれる」と評している。夫より一歩下がって妻は歩くと聞いていたが、妻が先導し、その後を夫が悠然と歩く夫婦を見てきたし、今もしばしば見る。妻が安らうならば、私も見習おうかと思う。

朝日俳壇に「草の花時代おくれをゆるく生く」(名古屋市 山内尾舟)が大串 章選の第二句に選ばれ「自分の生き方を静かに肯じている」と評されていた。同感である。時代に振り回されず、ゆったりと生きる姿は美しい。また、羨ましい。

俳壇の大御所・金子兜太氏が「悩むことはない」を著している。自由人らしい闊達な文章は笑いを誘う。金子氏は、戦争の時、トラック島に送られ、激しい戦禍と厳しい飢餓に見舞われた。非業の死を遂げた戦友、軍属は八千人と言われ、彼らの墓碑が建てられている。戦後、トラック島から引き揚げる時、「水脈(みお)の果炎天の墓碑を置きて去る」と詠んだ。戦時の風景は「被弾の島赤肌曝し海昏るる」であった。最近の句「男根は落ち鮎のごと垂れにけり」は評判のいい句であったという。

俳句は心と生活の断面を鋭く切り取り、結構楽しい。敬遠せず、親しんでみようと思う。