◇牧師室より◇
主イエスは「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう」、そして「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」と語られた。このみ言葉は弱く、貧しく、小さい者の側に立って歩まれた主イエスの生涯そのものを指し示している。
私は、ある羊飼いから話を聞いたことがある。小さな、弱い羊は母親にくっついて迷うことは殆どない、迷い出るのは大きく、強く、そしてわがままな羊だそうである。
外典のトマス福音書には下記のように書いてある。「イエスが言った、『御国は百匹の羊を持つ羊飼いのようなものである。それらの中の一匹、最大の羊が迷い出た。その人は九十九匹を残しても、それを見つけるまで、一匹を捜した。彼は苦しみの果てに羊に言った、私は九十九匹以上にお前を愛する』と」。
「最大の羊が迷い出た」と書かれている。現在、最も迷っているのは米国ではないか。アジア・太平洋戦争後も、次々と戦争が起こった。それらの戦争は必ずと言っていいほど米国絡みである。直接、戦火を交えなくとも、背後に米国があった。日本を始め、世界中に軍隊を配備し、莫大な戦費を消耗している。高遠菜穂子氏によれば、米国のイラク攻撃は完全に失敗し、独裁政権時代よりも混乱した状況にあると言う。矛先をアフガニスタンに変えたが、イラクと同じような泥沼にはまり込んでいる。米国経済は厳しく、生活できなくなった国民が暴動を起こしかねない。その暴動を抑え込むように軍隊が配備されているとも聞く。わがままな米国は迷い出ている。ところが、それを知らない、また知ろうとしない。
一党独裁を続けている中国も、世界にのし上がろうと同じ道を歩んでいるのではないか。国民の命を軽視し、生活を顧みない、奢れる権力は迷い出た羊である。「九十九匹以上にお前を愛する」と諭せるのは誰であろうか。
主イエスの「迷い出た羊」のたとえは小さい者への神の愛を告げている。「最大の羊」の迷いにも神は目を留めていよう。