◇牧師室より◇

「週刊金曜日」に「クラシックジャーナル」編集長の中川右介氏が「国家と音楽」を連載している。権力に媚びた人と抗した人の人間像と、その背景が興味深い。

ヒットラーの政権下、音楽家たちは寵愛を得ようと競い合った。しかし、ドイツが敗北し、非ナチ化が始まると、音楽家たちは「自分はナチ時代には虐げられていた」と語るようになった。そのひとりがカラヤンだそうである。

カラヤンはベルリンでの客演が成功し、州立歌劇場でもハードな日程をこなして活躍していた1939年のヒットラーの誕生日に「シュターツカペレマイスター(国家指揮者)」の称号を得た。31歳のカラヤンは得意の絶頂にあった。

そして、ヒットラーの御前演奏会を迎えた。ヒットラーが愛したワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を指揮した。歌劇場にはユーゴスラヴィアの王子を招き、政権幹部たちも並んでいた。ヒットラーのお気に入りのルドルフ・ボッケルマンが主役を演じた。ところが、彼は開演前に、緊張をほぐすためか酒を飲みすぎ泥酔状態になり、歌い出すタイミングを間違えた。指揮者は被害を最小限度に留めなければならないが、手間取って、なかなか元に戻せなかった。

記憶力のよいカラヤンは暗譜で指揮していた。ヒットラーはボッケルマンのせいでなく「失敗は、カラヤンが暗譜で指揮したからだ」と思い込んだ。カラヤン嫌いのフルトヴェングラーに聞くと「マイスタージンガーの暗譜は不可能です」と答えた。

カラヤンの前途に暗雲が立ち込め、カラヤンの再婚相手が四分の一ユダヤ人であったことも問題視され、ベルリンで干され、仕事がなくなってしまった。

戦後、このことが、カラヤンに有利に働いた。非ナチ化の審議で「私はヒットラーに嫌われていた」と証言した。その言葉に偽りはない。そして、カラヤンは世界屈指の名指揮者になっていった。

月刊誌「福音と世界」で古郝荘八牧師は、ヒットラーに抗する神学を展開したカール・バルトに学んだ教義学者・熊野義孝氏が「勲三等瑞宝章」を受け取ったことに「それにしては」と疑義を表している。 

称号や勲章は、その時代のステータスの高さを表すのであろう。芥川龍之介の「なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩けるのであろう」という言葉を思い出した。