◇牧師室より◇
信仰を与えられた母教会(大分県 杵築教会)の説教応援に行ってきた。丸坊主の高校生であったので、皆さんから「秋吉君」と呼ばれていた。母教会に帰ると、高校生の時に戻り、求道中のことが思い出される。説教というより「証」をした。
神学校に入学するため上京する前日、吉新治夫牧師に出発の挨拶に行った時、ヨシュア記1章を読んでくださった。神が約束された乳と蜜の流れるカナンに入る時、ヨシュアはモーセの後継者に立てられた。強力なカナン人が住む土地に、貧弱な難民が入って行く訳であるから、一歩間違えば、民族は絶滅してしまう。ヨシュアは不安と恐れで一杯であった。神は、ヨシュアに対し「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」と励ました。
ヨシュアが民族の存亡を託された使命と私が独力で神学校に行くのとでは、重さにおいて天と地ほどの開きがある。しかし、不安もあった私には忘れられない、励ましのみ言葉であった。そして、このみ言葉によって支えられてきた。
聖書は、イスラエル民族が神を求めて血を吐くようにして記した書物である。私たちを襲う不安、恐れ、苦難、悲しみに対して、乗り越えていける確かなみ言葉が与えられると話した。皆さん、私の「証」を喜んでくださり、礼拝後は、大変なご馳走をして歓迎してくださった。
礼拝出席十数名の教会であるが、大きな会堂と園舎、広い敷地、パイプオルガンを持つ大教会で、教会員の献げる姿勢に驚かされる。
吉新牧師の病状はかなり回復し、聖餐式と祝祷をしておられる。独学で補教師になったK.S氏が6月に准允を受け、後継されることになった。真面目でよく勉強する方で、安心である。
杵築に友人がおられるH.Y姉と杵築教会の幼稚園を卒園したI.Y姉が私の言動の「監視」に来てくださった。
中学校生活を共にした「古稀の同窓会」に出席してきた。古稀を忘れて昔に返り、懐かしい限りであった。