◇牧師室より◇

3・11の東日本大震災は未曾有の災害となった死者、行方不明者は3万人を超えるだろう。死者を扱う時、数字だけを挙げるが、一人の死には数十倍の悲しみが折り重なっている。行方不明の家族を探す方々の姿は悲痛で、遺体にも巡り会えない方も多いだろう。

大津波で町ごと流され、土台だけが残されている映像はあまりに残酷である。生活の基盤を根こそぎ奪われた方々の失意の深さを思う。

避難所生活を強いられている方々の生活と環境を守っていかなければならない。長い闘いになるだろう。苦しみと悲しみは避けられないが、絶望の声は少なく「頑張ろう」の声が圧倒的に聞こえてくる。

この大災害の中で、暴動などを起こさず、冷静に対応していることに、外国人から「我慢と分かち合う心」を持っていると賞賛されている。日本人が培ってきたこれらを大切にして、確実な復興を目指したい。しかし反面、不安に煽られて買いだめに走り、本当に必要な人に届かない。放射性物質を恐れる風評被害に晒されて、苦境を強いられている人々もいる。残念ながら、盗難事件も起きていると報道されている。

福島原発事故は解決方法を見出せない危険な状況が続いている。事故現場に被曝者が出た。多量の放射性物質を放出し、納まりそうもない。地域、飲食物に関し、パニックを恐れてか、テレビ解説者は楽観的に語るが、不安が解消されるとは思えない。悲しいことに、自死者まで出た。

原発工事は杜撰に施工され、働く人の癌の死亡率が高く、使用済み核燃料処理も危険であると聞く。福島原発は廃炉されるであろう。チェルノブイリは石棺で覆って廃炉したが、今も放射性物質を放出しているという。原子エネルギーは人知では御し難いものであることを改めて知らされた。経済効率と利便性だけを追求してきた社会のあり方に対し、転換が迫られる大事故になった。

福島原発事故に対し、仏国、米国など、諸外国の見方は厳しい。東電、保安院は無責任、無策を認めるべきである。政府に国家的危機として適切、強力な対応を期待したい。