◇牧師室より◇

「モーセの十戒」は出エジプトして三ヶ月後、シナイ山でモーセに授与されている。この十戒は人が住めないような荒れ野を旅するにあたって、神との契約を守り、人に危害を与えてはならないと、共同体を維持するために欠かせない戒めであった。その初めに「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と苦しみから救い出す愛の神の戒めであると宣言している。そして、十戒が聖書の基本的な戒めとなった。

第一戒は「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」である。この一戒が、後に続く戒めの根幹となっている。愛の神を信じることは自らが自立し、他者を受け入れ、共にあることを約束する。しかし「ほかに神があってはならない」という戒めは、不安と恐怖に襲われると、すぐにほかの神々を作り出していく、人間の弱さを示している。旧約聖書の歴史は神信仰から破れていく苦しみの歴史として読むことができる。

新約聖書には悪霊に取りつかれた狂気の人が大勢記されている。彼らは神でない何ものかを、神としたため、心と体の全てを支配され、その神々の奴隷になっている。それは、自らを傷つけ、他者に害を与え苦しむ、まさに偶像礼拝者の姿である。

この偶像礼拝が典型的に表れたのが戦争中の「天皇制」である。人である天皇を「現人神」とし、天皇のために生き、死ぬことが至上の価値とされた。この天皇制の下で多くの人が命を失い、耐え難い悲劇を経験した。

この時代、お金が神になっているのではないか。権力、崇高な芸術、そして病気でさえ、私たちを支配する神々になり得る。パウロは「彼らは腹を神とし」と言っている。自分の思い、自分の思想も神々になる。

地上のものは皆、それなりの意味と力がある。しかし、それ以上でも、それ以下でもない相対的なものである。神のみを神とする信仰は、地上のものに縛られない自由を保障する。

主イエスは、人を縛る悪霊から解放し、苦しみから救い出す愛の神を啓示された。十字架による罪の赦しと復活による永遠の命を与えてくださる神に立ち返るところに、わたしがわたしで、あなたがあなたであってよいと、互いに受け入れ合って生きる救いがある。