◇牧師室より◇

戦争が終わって66年経つが、朝日新聞は毎月第3火曜日に「語りつぐ戦争の声」を掲載し続けている。戦争で空しく命を落とした方々に対する追悼の思いは深く、重い。そして、苦悩の限りを嘗め尽くした体験談が率直に告白されている。

先日、80歳の無職の方が寄せた「障害者に輝いた日本国憲法」と題する投書に心を打たれた。投書者は5歳の時に小児まひで右足が不自由になった。当時は「障害者、福祉」などという言葉は聞かなかった。日中戦争が始まり、軍国主義の下、「軍人になれない男の子は穀潰(ごくつぶ)し、非国民だ」とののしられた。近所でも学校でも「ちんば・びっこの○ちゃん」と揶揄されたと書いておられる。体育の時間は軍事教練に当てられ、運動場の片隅に追いやられて、見学ばかりであった。

小学校6年生の運動会の日、今でいう「登校拒否」をした。心配した母親が捜し歩き、田んぼのあぜ道にしゃがみこんでいる自分を見つけ、駆け寄り、抱き合って二人で泣いた。遠くから、勇ましい行進曲が聞こえていたのを忘れないという。

その後は、投書者の言葉をそのまま紹介したい。「45年8月15日、日本は戦争に敗れた。明治憲法に代わって日本国憲法が生まれ『個人の尊重と公共の福祉』、『法の下での平等』が明文化された。私たち障害者には、長い暗黒の夜が明けて、まぶしい朝日が昇り始めたような感動だった。」

投書者は戦後、どのような人生を歩んでこられたのであろうか。憲法に輝かしい明日を見たと言っておられるが、大きな苦労をされたことだろう。障害者に対する差別は依然としてある。男女差別に関しても決して解消されてはいない。憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文も空文化している。

憲法9条の「戦争の放棄、軍備および戦争の否認」は現実的でないから変えようとする人々がいる。新聞の投書からも分かるように、戦争ほど悲劇をもたらし、人権を否定するものはない。現実に合わせるのではなく、人間の尊厳を守る希望を掲げ、それに向かって明日を作るために、今を生きることが理性ある人間の営みではないか。