牧師室よ

N.Y74年の生涯を終え、天に帰られた。奥さんのT姉のお姉さん、孝子さんは癌で余命が短いと分った時、洗礼を受けて信仰を持って召されたいと願った。T姉に求められて、孝子さんを見舞い、信仰を勧めた。彼女は喜んで受け入れ、病床洗礼を受けた。受洗して十数日後に、実に平安にそして美しく召されて逝った。

N.Y兄は、孝子さんの葬儀の後、笑いながら私に「命があと一年となった時に洗礼を受けます」と言われた。町でN.Y兄に出会った時「そろそろ教会に来ませんか。時間があまりありませんよ」と言って笑い合った。そのN.Y2009年3月1日の礼拝に突然見え「先生、その時が来ました」と言われた。「え」と聞き返すと「食道癌になりました」と答えられた。その日から、熱心に求道し、クリスマスに洗礼を受けた。

N.Y兄の癌はかなり進行していて大きな手術になり、その後の治療も困難が多かった。癌が見つかって2年間、厳しい闘病を強いられた。ご家族は本当に行き届いた看病をされた。私と同病だったので情報を交換し、また同じ病院だったので妻の車でご一緒したこともあった。

N.Yの闘病で二つのことが印象に残っている。私は手術を受ける前に訪ね、聖書を読み、祈ることにしている。N.Yの時「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」を読んだ。後日、この聖句が大きな支えになったと言われた。また「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」という聖句から説教をした。イスラエルでは二頭の家畜に軛をつけて畑を耕す。主イエスは私の隣で重い軛を負ってくださっています、と話した。N.Yは「洗礼を受けて良かった。私は一人で闘っているのではなく、主イエスが隣にいてくださることが心強い」と言われた。

家族を愛し、仕事を励み、多趣味な充実した人生を送られた。最後の時、信仰を得て、神に委ねて生きた幸いを嬉しく感謝している。