牧師室よ

昨年1月NHK スペシャル「無縁社会 『無縁死』 3万2千人の衝撃」がテレビ放映され、大きな反響を呼んだらしい。プロジェクトを組んだディレクターたちが放映できなかった取材分を加え、同名で単行本化している。重い気持ちで読んだ。

「行旅死亡人」という言葉を初めて知った。「住所、氏名が分からず、遺体を引き取る人のない死亡人」のことで、毎日のように官報に掲載されている。社会から切り離された無縁死が、年間自殺者数と同じくらいあるというから衝撃である。

昔のコミュニケーションは直接会って話す、あるいは手紙であった。最近は、電話、携帯、メール、ネットなど、コミュニケーションの手段は多様になった。しかし逆に、人と社会との生きた関わりが希薄になり、孤立化している状況を浮き彫りにしている。

家庭、血縁、地縁、社縁が崩壊し、一人ぼっちで暮らしている人々が増えている。20年後の2030年には一人暮らし世帯が40%になるという。

非婚を選ぶ、職を失う、職につけない、とじこもる。そして核家族での死別、離婚など、誰もが一人暮らしになる可能性がある。また、プライバシーを守るという名目が孤立化を加速させている。人に迷惑をかけたくないと、家族との関係も断ち、一人で死んで行かざるを得ない。

「おひとりさまの孤独死」が良いという人もいるが、ディレクターたちの無縁死に関する取材報告によると、経済的にゆとりのある人もない人も、その実態は良いとは言えない事例が圧倒的である。彼らは皆、人との絆を求めながら、それが得られず寂しさの中で死を迎えている。そして、無縁仏として埋葬されている。

こういう時代だから、教会の働きに意味と力がある。教会にも一人暮らしの方がおり、私が家の鍵を預かっている方もいる。教会の交わりの中にある限り、人との絆を保つことができる。干渉過多にならず、人を思いやる関係は深い慰めとなる。また、教会墓地に埋葬されれば、毎年、追悼してもらえる。「神の家族」として慰め、励まし合う教会の意味と力を証ししたいと強く思った。