◇牧師室より◇
10月の末に第37回日本基督教団総会が持たれた。色々な方から感想を聞いた。皆「失望した、末期症状だ、ファシズムだ」と否定的である。
紅葉坂教会の北村慈郎牧師が未受洗者に陪餐させたことは教憲・教規に違反するとして「免職処分」が出された。免職処分とは、北村牧師の牧師職と人格を社会的に全否定することである。この戒規(処罰)を巡って、是非を問う、また免職撤回を求める議案が今総会に提案されていた。総会の初めに、これらの議案を扱わないとする日程が可決された。怒号が飛び交い、抗議して退席する人もいた。「信仰告白、教憲・教規、そして教会法」を守る、いわゆる「正常化路線」の議員が総会を支配する形になった。議長や副議長選挙は根回し通り、粛々と選ばれていった。そして、教団執行部を形成する「常議員選挙」は全数連記にしたので、正常化路線の議員のみが選ばれた。
執行部が用意した議案は予定通り議決された。一方、「聖餐のあり方を議論する場の設置(神奈川教区総会提案)、また日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえなおし、戦争責任の歴史的検証、そして米軍基地の撤去を求める声明」などは全て否決された。
議場は議論もなく、執行部の意のまま、強引に進められた。選挙で投票する人は誰々、通す議案はこれこれと、議場にメモが公然と出回っていた。この状況から「失望、末期症状、ファシズム」という批判の言葉が出てきたのである。
未受洗者に陪餐を認めることの是非は世界の教会で議論され、賛否両論がある。主イエスの敵対する者をも包み込む赦しの愛は、十字架の死を記念する陪餐に与れる者は洗礼を受けた者のみと限定するであろうか。秩序や教義を守ろうとすることによって、福音の豊かさを損ねてはならない。主イエスの心は何であるかを問うことが全てに優先する。
主イエスは安息日の戒めを守れない人々を詰問、排除するファリサイ派の人々に「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」と、律法は人を排除し、苦しみを与えるものではなく、互いに生かし合う愛であると示された。