牧師室よ

 子どもの教会は、8月を「平和月間」として、教会員に平和に関する説教をしていただいた。皆個性ある説教で楽しく聞いた。合同分級はリーダーがそれぞれのテーマで、平和についてメッセージを語ってくれた。毎年、原爆に関するメッセージがあるが、今年はA姉が「祈りの長崎」の被爆について語られた。

 今年の「広島、長崎の日」は例年と少し変わっていた。国連事務総長の藩基文氏が出席し「核廃絶」に向かっての声明は頼もしかった。ただ、強制連行された韓国・朝鮮人の被爆について一言も語らなかったことを残念に思う人もいただろう。米国大使ルース氏の参加は目を引いた。米国政府関係者の参加は65年目になって、ようやくかと皆が思ったであろう。核保有国の英仏大使も参加したそうである。三人ともスピーチはなかった。例年とは一味違う「広島、長崎の日」はオバマ大統領のプラハでの「核のない世界を目指す」という演説の影響であろうか。

 広島市長、長崎市長の「平和宣言」にはいつもながら心を打たれる。確信をもって真っ直ぐに語る言葉は力に満ちている。そして、希望は人々に大きな夢を与えてくれる。それに引き換え、菅首相の発言にはがっかりさせられた。平和式典では「非核三原則の法制化」を目指し、「核廃絶」への努力をすると語った。その直後の記者会見で「核抑止力の必要」を語っていた。権力者の発言の二重基準には慣らされているが、あまりの乖離に呆れてしまう。核廃絶は夢である。その夢を追ってこのような手順で現実を変えていこうくらいの発言をしてもらいたい。

 オバマ大統領の核廃絶への意欲に関して、ルース大使の参加は一歩前進ではあるが、全面的に信頼できないのではないか。天木直人氏は「さらば、日米同盟」の中で、イスラエルに蹂躙されているパレスチナの惨状を知るアラブ人は「核爆弾を一発手に入れれば、真っ先にイスラエルに落とす」と公言していると書いている。イスラエルが最も恐れているのはこの本音である。そして、米国もテロリストが核兵器を持つことを恐れている。オバマ大統領の核廃絶は広島、長崎の悲劇を繰り返すなという正義や平和ではなく、テロリストに核を持たせないための牽制ではないかと疑ってしまう。

米国の核兵器に関する予算要求額は前年度比で9.8%も増え、その内訳も「核のない世界を目指す」演説を具体化する要素は皆無であると報道されている。ある米紙は「大統領の発言を疑うことになろう」との懸念の声を掲載している。

平和は我々市民の地道な声を集めて作り上げていくものである。