牧師室よ

私たちの教会も高齢化が進んできました。会堂建設の時、高齢化は避けられないからと、一階を礼拝堂にしたことは正しかったと思います。現在、体が不自由になり、礼拝出席が困難な方がおられます。また、車の送迎を受けて、出席している方もおられます。その送迎は個人的な奉仕によってなされています。宣教委員会では、個人的な奉仕では追いつけない状況がくるのではないか、また事故の対応ができないのではないかと、高齢化に対応する検討を始めています。リハビリのために頑張ることに意味がありますが、自分が不自由になったことを想定し、安心して礼拝を守るために、どうすればよいか、率直な意見を出し合って、良い方法を見出したいと思います。

人は生きている限り、病気になり、入院しなければならない時があります。その時のお見舞いは本当に嬉しいものです。教会員は優しい方が多いので、病気と聞くと心配して、すぐに電話でお見舞いをしようと思う方がおられます。しかし、5人から電話を受けると、5回病状について説明しなければなりません。これは病人、その家族にとってきついことです。電話でのお見舞いはご遠慮ください。また、病床をお訪ねしようと思う時も、病人には痛くて、苦しい時もありますから、ご家族に問い合わせてから、お見舞いください。あの人と自分は親しい関係にあると思っていても、やはり問い合わせは必要でしょう。病床では、徒な励ましや無責任な回復希望などを語らず、言葉数少なく、病人の苦しみにそっと寄り添うことが大切です。

病気になったことを聞いた時は、まず、返事を求めない葉書を出して、お見舞いを表すことが良いと思います。そうすれば、必要な見舞いや手助けの要望を聞くことができるでしょう。優しい心遣いが何よりの励ましになります。病人と家族に負担をかけないように、その心遣いを届けたいと思います。

お見舞いや手助けができることは幸いなことで、可能な奉仕を尽くしたいと思います。そして受ける時は、感謝をもって、大らかに受け入れてはいかがでしょうか。人は必ず、受けざるを得ない時が来るのですから。