牧師室よ

鳩山首相は、5月末までに「普天間基地移設問題」に決着をつけると言い続けてきた。しかし、5月末までに決着をつけることはできない。鳩山首相の言動には揺れがあり、首相の資質に欠けると批判されている。

当初、普天間基地は「最低でも県外移設」と言っていた。沖縄県民は、この首相の言葉に勇気を奮い起こされ、衆議院議員、市長選挙などでは全て基地の受け入れ反対派が当選してきた。県外、国外移設を主張する9万人の「県民集会」は沖縄の思いが集約されていた。

国外、即ち米国領土内への移設が難しいということになった。なぜ難しいのか分からないが、米国は莫大な「思いやり予算」がつく日本に基地を作りたいのは当然であろう。

国外が不可能とされた時、徳之島が浮上した。徳之島でも反対運動が起こった。爆音被害、公害、そして米軍海兵隊は最も戦闘的な部隊である。治安の悪化を恐れ受け入れたくない気持ちは理解できる。本土内のどこも同じ反応を示すであろう。

鳩山政権は、過疎と貧困から脱却したい徳之島の受け入れ派を説得している。そして、多少軽減して沖縄の新基地、二ヶ所に分担移設を目論んでいるらしい。

民主党の山岡国会対策委員長は「普天間問題は雲の上のような話である」と発言をした。沖縄から来ていた女性市議が怒りを込めて抗議した。山岡氏も謝罪し、撤回していたが、彼の発言こそが沖縄に犠牲を強いた「根っこ」である。沖縄の基地負担の大きさは誰でも知って、気の毒と思い同情している。しかし、本土にいる大半の人々は爆音にさらされず、米兵たちの犯罪の被害は受けていない。基地問題は「雲の上」のこととしてしか認識していない。

辺野古への逆戻りは困難、本土の受け入れも困難、行き場のない状態になるが、最も危険な普天間基地を固定化してはならない。今回の基地問題を巡る紆余曲折は国民全体の問題であることを知らせる効果があった。日本国民の基地反対の意思は米国に届いている。日米安保条約は日本の安全を保障する機能ではなくなっている。米国の世界戦略に組み込まれた従属的な関係を国民の意思を背景に根本的に改善していく機会になることを期待したい。まず「抑止力」という言葉の前で思考停止の回路から抜け出すことである。

28日に出た日米共同声明には辺野古が明記され、徳之島の活用も検討するという。またしても、国民の意思を無視して米国優先なのか。