牧師室より

成田龍一氏が「『戦争経験』の戦後史 語られた体験/証言/記憶」を著わしている。「大東亜戦争」、「太平洋戦争」、15年戦争」など、色々な呼び名があったが、「アジア・太平洋戦争」で定着している。アジア・太平洋戦争が終わって65年になる。成田氏は、1930年から書き起こし、戦後史を1950年代を中心とする「体験」の時代、1970年代を中心とする「証言」の時代、1990年代からを「記憶」の時代と捉えている。それぞれの時代から見た「戦争経験」を学術的な歴史書、エッセー、小説、映画など、様々な分野から語られ、表されたものを読み解きながら、多様な変遷と複雑な交錯を追っている。扱った資料の膨大さに圧倒された。そして、興味津々、懐かしく思い出したものも多々あった。

敗戦後65年が経ち、「記憶」から「歴史」に移りゆく時期に差しかかっている。アジア・太平洋戦争の戦争像をめぐる抗争や対抗は続くであろうから、「戦争経験の戦後史」を考察する必要があるという理由で、この本を著したと書いている。成田氏の誠実な書き方が自分はどこに立っているかを指し示してくれる。

私は、旧満州から引き揚げ、子供の頃は貧しかった。そして、日本が戦争に負けていく話や映像が圧倒的に多かった。被害を受けた戦争像であったし、周りの人々も同じような受け取り方をしていた。私の問は、戦争加害者であったとの認識を持つようになったのは、いつ頃からか、どんな出来事からか、であった。成田氏は戦争加害者の認識は、本多勝一氏が1971年に出した、南京虐殺をリポートした「中国の旅」、森村誠一氏が1981年に出した、中国で生体実験などを行った七三一部隊の「悪魔の飽食」が大きな転機であったと書いている。そして、家永三郎氏が1985年に刊行した「戦争責任」は、戦争責任の議論をはずしてアジア・太平洋戦争が考察できないことを定着させたという。

成田氏は、「戦争責任」の自覚は決して充分ではないが、「植民地責任」はほとんど自覚されていないと指摘している。確かに「強制移住労働」、「従軍慰安婦」、「朝鮮人BC級戦犯」、「北朝鮮による拉致」そして、私にとって関心のある「中国残留孤児」などは「植民地責任」問題である。成田氏は二つの責任を包括する「帝国責任」という概念で問われる必要があると主張している。

「帝国責任」をクリアに認識し、それにふさわしい行動をする時、平和を実現する積極的な発言ができ、「国際社会において、名誉ある地位を占め」得るのではないか。