牧師室より

新潮社が出している季刊誌「考える人」の2010年春号は「はじめて読む聖書」というテーマを特集している。聖書は最も読まれているベストセラーであるが、分量の多さや構成の複雑さによって、読みこなすのは容易ではない。

特集「はじめて読む聖書」では、新約聖書学者の田川建三氏へのロングインタビュー「神を信じないクリスチャン」から始まっている。そして、編集者が聞いてみたいと思った作家の池澤夏樹氏や吉本隆明氏などがインタビューに応じて聖書との関わりや思いを語っている。また、大きな反響を読んだケセン語訳聖書を出した山浦玄嗣氏や私たちの教会の特別伝道集会の講師に来てくださった福音館書店相談役の松居直氏などがエッセーを寄せている。更に、「わたしの好きな聖書のことば」というアンケートに禅僧の南直哉氏や俳優の山崎努氏や脚本家の山田太一氏などが答えている。

50名を越すクリスチャン、ノンクリスチャンが聖書をどのように読んでいるかを述べている。教養として読んでいる人もいるし、信仰的に深く受け入れている人もいる。大変興味深く、一気に読んだ。そして、聖書の言葉が持つ大きな力と意味を改めて思った。聖書にはイスラエル人の二千年来の歴史が深く刻まれている。私たちが経験、体験する全てが網羅されているのは当然である。

宮城学院女子大学名誉教授の山形孝夫氏のエッセーに感銘を受けた。1940年、山形氏が8歳の時に母親が自死した。戦争末期、米沢に疎開し悲しく、寂しく、貧しい少年時代を過ごした。高校は仙台のミッションスクールに行き、そこで、初めて聖書を手にした。コヘレトの言葉7章の「悲しみの家」、イザヤ書53章の「悲しみの人」の「悲しみ」という言葉が大きな肯定に転化されていることに惹きつけられた。

主イエスは「悲しんでいる人たちは幸いである、彼らは慰められるであろう」と悲しむ人への慰めを語っている。主イエスの言葉の背後にはイザヤ(第2)がいると重ねて読むと「救い主」のイメージが浮び上がり、高校二年生の時、洗礼を受けたという。