◇牧師室より◇
80歳の池田ユリ子氏が朝日新聞の「声」欄に「密約の重荷を負った若泉氏」を投稿し、「胸が詰まった」と書いておられる。
沖縄返還は日本の戦後決算を意味する重大な出来事であった。返還交渉は、当時の佐藤栄作首相と米国のニクソン大統領の間で進められていた。日本側から密使として、国際政治学者の若泉敬氏が遣わされ、キッシンジャー大統領補佐官と秘密裡に合意を模索していた。佐藤首相とニクソン大統領はこれらの秘密交渉の後、「合意議事録」に署名した。それは「本土並み 核抜き返還」であるが、有事の際は「要件を遅滞なく満たすであろう」を加え、核の持ち込みを容認するものであった。
若泉氏は、秘密交渉はやむを得ないが、本当にそれで良かったのかと悩み続けていた。沖縄の遺骨収集に参加し、戦没者を悼む6月23日には毎年のように訪問し、また、「沖縄に申し訳ない」と何度も口にしていたという。1996年、癌に侵されていたが、毒を飲んで自ら命を絶った。遺言により告別式は行われず、遺骨は沖縄の海に散骨された。秘密交渉の経緯を詳述した「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」は1994年に刊行されたが、昨年、新装版が出版された。その最初の「謝辞」に、「顧みるまでもなく、私の責任は重い。その重みは常に私の深層心理を支配してきた。……
鋭利な刃で五体を剔られるような気持ちに襲われたことすら一再ならずあった」と書いている。
佐藤首相は後に、非核三原則に基づく平和外交が評価され、ノーベル平和賞を受賞した。もし、密約が表に出ていたら、佐藤内閣は潰れ、ノーベル平和賞もあり得なかった。若泉氏の深い苦悩と佐藤首相の栄誉の違いについて、投稿した池田氏は、「落差の大きさに戸惑うばかりである」と書いている。若泉氏が負った重荷に「胸が詰まった」のであろう。そして、普天間基地の移転問題に関して、「『沖縄に申し訳ない』との若泉さんの死を賭した叫びに恥じない結論を導き出していただきたいと切に願う」と結んでいる。
沖縄で県外、国外移転を主張する「大県民集会」が開かれた。本土内でも受け入れ容認はない。これが日本国民の意思であると米国に伝えることが鳩山政権の務めではないか。