◇牧師室より◇
1989年6月4日、中国政府は民主化を求める学生たちを武力を持って制圧した。戦車の前に立ちはだかる人を押しつぶし、銃の発砲によって数百人が虐殺される大弾圧が行われた「天安門事件」の映像は忘れられない。またこの時、大きな眼鏡をかけた趙紫陽総書記がハンドマイクを持って涙ながらに、学生たちに退去を呼びかけていた姿も忘れられない。趙氏は「天安門事件」以来、16年間軟禁状態に置かれ、2005年の1月に亡くなられた。軟禁状態の中で「天安門事件」の前後に何が起こったかをテープに録音していた。それが「趙紫陽 極秘回想録 天安門事件『弾圧』の舞台裏」というタイトルで翻訳、出版された。中国では「発禁処分」だそうである。
「天安門事件」の悲劇は胡耀邦氏の死を追悼したいという学生運動が発端となった。民主化に熱心であった胡氏が失脚し、死去された。学生たちは胡氏を追悼したいと天安門広場に集まった。一般市民も賛同し、加わった。中国政府はこの運動を反政府運動と捉え、弾圧を加えた。趙氏は政治家たちとの権力闘争を克明に回想している。守旧派の人々は最高権力者であったケ小平氏を抱き込み、趙氏を強権的に、そして巧みに追い落としていった。小説よりも奇奇怪怪である。人の思いを汲み取ろうとする「心優しい」人が潰されていく様は何とも悲しい。そして、虐殺された人々の無念さを思う。今なお、傷つき苦しんでいる人が大勢いる。中国は国際世論を無視して「天安門事件」を正当化している。経済においては世界を動かし、解放されてきたが、政治的には共産党の一党独裁を建国以来続けている。
同じ年1989年の10月23日、旧東ドイツのライプチヒでは「我々こそ国民だ」と叫ぶ30万人のデモが行われた。軍隊が取り囲んだが、ろうそくの炎をかざしただけの人々への発砲はなかった。無血の「ビロード革命」の映像は感動的であった。ベルリンの壁は崩壊し、東西ドイツは統一に向かった。民衆が政治を動かせることが民主主義の基礎である。