牧師室より

岩波の月刊誌「世界」に寺島実郎氏が「本質を見抜く眼識で新たな時代を切拓く 脳力のレッスン」を長期連載している。2月号は「普天間移設問題の真実」を特集し、寺島氏は「常識に還る意思と構想―日米同盟の再構築に向けて」と題して特別寄稿をしている。

強烈な言葉に驚いてしまったが、私も同感である。中国の作家・魯迅は20世紀初頭の中国について植民地支配に慣れきった中国人の顔が「奴顔」になっていると嘆いた。「奴顔」とは虐げられることに慣れて強い者に媚びて生きる人間の表情で、置かれた状況を自分の頭で考える気力を失った虚ろな表情であるという。寺島氏はこのように説明した後、次のように書いている。「普天間問題を巡る2009年秋からの報道に関し、実感したのはメディアを含む日本のインテリの表情は根強く存在する『奴顔』であった。日米の軍事同盟を変更のできない与件として固定化し、それに変更を加える議論に拒否反応を示す人たちの知的怠惰には驚くしかない。」

メディアでは、インド洋での給油活動を止めたら日米同盟は破綻する、普天間基地を日米合意通りにしなければ、日米同盟に亀裂を生むと言う解説者が多い。また「日米関係破綻の危機迫る」と発信する海外特派員も少なくない。自分で問い、考えることを止めた彼らは「奴顔」である。

戦後、米ソ冷戦構造の中で安保条約が発効した。冷戦構造が終焉して20年になる。その間、他国では考えられない優遇を米軍に果たしてきた。「独立国に他国の軍隊が長期間にわたり駐留することは不自然である」という国際社会の常識に還る意思と構想を持とうと寺島氏は語りかけているが、当然であると思う。

名護市民は移設反対の市長を選んだ。沖縄は戦前、戦中本土からの差別を受け、大きな犠牲を押しつけられた。戦後、日本の安全保障のために基地を提供させられ、更なる犠牲を強いられてきた。今また、永続的な新基地の建設は沖縄県民に対してあまりに残酷な仕打ちではないか。