牧師室より

韓国の民主化の象徴であり、またそれを実現した金大中元大統領が818日に亡くなられた。5回殺されかけ、6年間を獄中で送り、10年以上も自宅軟禁と亡命生活を強いられた。遺言に「行動する良心であれ」、「行動しない良心は悪の側にいる」と書いている。民主化のために、正に命を賭して行動した政治家であった。1998年に大統領になり、訪日して日韓共同宣言を出し、両国のわだかまりを溶かし、人や文化の交流を深めた。また、北朝鮮に対して「太陽政策」を取り、初の南北首脳会談を行い、ノーベル平和賞を受賞した。金大中氏の求めた民主化は「和解と信頼」であった。85歳の誕生日の日記に「渾身の努力を傾けた一生だった。後悔はない。人生はどれだけ長く生きたかが問題ではない。どれだけ意味があって価値のある生き方をしたかだ」と書かれたそうである。

岩波書店の月刊誌「世界」に三人の追悼文が掲載されている。池明観先生は、韓国の軍事政権時代、勇敢に戦った民衆の民主化運動の実態を「韓国からの通信」と題して、覆面記者TK生という名で世界中に発信していた。「韓国からの通信」を書き始めた19731月頃、東京に亡命中の金大中氏と出会われた。二人の活動の場は違ったが、民主化運動を共にし、世界からの支持を得ていった。そして、韓国国民は民主化を勝ち取った。金大中政権が求めた「和解政策」の中で池明観先生も大きな働きをしている。先生はこれらの繋がりを感銘をもって回想しておられる。

姜尚中氏は、金大中氏から「姜さん、われわれは民主主義を血であがなって獲得したんです。民主主義は水道の蛇口をひねれば出てくる水ではないんです」と言われた言葉を紹介している。そして、東アジアの平和と信頼を築こうと身を挺して「和解の政治家」が示した道を歩んでいくしか道はないと語っている。

和田春樹氏は、金大中氏の国葬で朴英淑女史が「民族の宿願と社会の葛藤をとく和解と統合の風がいま野火のようにひろがっているのは、先生がわれわれに下さった大きな贈り物です」と語られた弔辞に国民の弔意が表れていると語っている。それは、現在の李明博政権が北朝鮮に取っている対決的な姿勢ではなく、金大中氏の「太陽政策」による「和解と信頼」の道にもどることであると結んでいる。