牧師室より

コイノニア社から「低きに立つ神」が出版された。6人の牧師がご自分が関わった現場からの生々しい報告を書いている。その6人は下記の方々で、現場とそこでの「神」を明記している。@ 伊藤之雄牧師 「山谷−問いかける神」。A 岡田仁牧師「水俣−苦界に座す神」。 B 犬養光博牧師「筑豊−おらぶ(叫ぶ)神、黙す神」。 C 菊池護牧師「山谷−痛む神」。 D 小柳伸顕牧師「釜ヶ崎−共なる神」。E 渡辺英俊牧師 「寿町−地べたに在す神」。

山谷、釜ヶ崎 寿町は底辺労働を支えた「寄せ場」であり、水俣はチッソ株式会社のメチル水銀垂れ流しによる公害の原点になった町であり、筑豊は石炭から石油へエネルギー転換のため、放棄された町である。日本の社会産業構造が必然的に求め、また生み出した地域である。

6人の牧師たちは、これらの地域に入り、苦しみもだえる地域住民との生きた関係を信仰告白として証言している。 @ の伊藤牧師は私が神学生だった頃、西片町教会でご指導をいただいたが、1980年に亡くなられた。A の岡田牧師は、現在水俣から離れている。他の牧師たちは今も現場に留まり続けている。

本の帯に下記のように紹介している。「反貧困。60年代、70年代、日本経済は高度成長を遂げた。その成長を底辺で支えた労働寄せ場、犠牲になった工業地帯、山谷、釜ヶ崎、寿町、筑豊、水俣。そして今も貧困・差別・偏見に苦しむ人々。これら戦後昭和を象徴する地域の人々にキリスト教はどうかかわったか。今、現場で何を考え、何をしようとしているのか。」

6人の牧師たちに共通していることは、まずキリスト教の教義を教え、納得させて洗礼を授けるというような伝道はしていない。苦しみもだえる人々の只中に主イエスはおられる。自分もそこにいて、主イエスに従っていきたい。上から何かを教えようというのではなく、彼らとそれこそ「生と死」を分かち合って共にいようとして留まっている。もう一つ、6人の牧師に共通していることは本当に心優しい方々であることである。差別と偏見の中に放り出された人々と共にあろうとする時、身も魂も見事に砕かれるのであろう。

私も牧師の一人として召されていると信じているが、6人の牧師の前に自らを恥じ入ってしまった。そして、教団は文字づらを追う無益な論争をしているが、命をかけて伝道している牧師たちのいることを改めて知らされ、頼もしく嬉しかった。