牧師室より

ジーモン・ヴィーゼンタールの史実小説「ひまわり」は世界中で幾度も出版されているが、今年の3月に最新の日本語版が翻訳、出版された。

ユダヤ人のヴィーゼンタールはドイツ・ナチズムによって、1941年から1945年までゲットーと二つの強制収容所に連行され、地獄のような体験をしたが、奇跡的な生還をした。戦後、ナチの戦争犯罪人を突き止め、各国の司法当局に情報提供をして法廷に立たせる活動を強力に進め「ナチ・ハンター」と言われた。彼は、私怨の報復ではなく、社会正義を復権させる使命を持って戦い、世界から大きな信頼を得、様々な賞と16の大学から名誉博士号を受けている。

「ひまわり」は主人公であるヴィーゼンタールが収容所の屈辱的で、耐え難い生活を強いられているところから始まる。突然、ベッドに横たわる瀕死の若いナチ親衛隊員・カールの所に連れて行かれる。カールは多くのユダヤ人を虐殺したことを悔悛し、死を前にしてユダヤ人に赦しを請いたい、そうしなければ死ねないとヴィーゼンタールに切々と懺悔を告白する。しかし、彼は赦しを告げず、無言で立ち去る。生き延びたヴィーゼンタールは戦後、カールの母親と会う。彼女は夫を失い、また良い子であった独り息子も亡くし、傷心の中にある。ヴィーゼンタールは彼女にカールの残虐行為について何も語らず、無辜であった息子のイメージを壊さずに立ち去る。

ヴィーゼンタールは「ひまわり」の最後で「瀕死のナチの死の床での私の沈黙は正しかったのであろうか? 間違っていたのであろうか?」 と、ユダヤ人はホロコーストを赦せるか、またあなたが私ならどのように行動するかと問いかけている。

この問いに、現在まで53名の世界の知識人が応答している。「ひまわり」は120頁くらいの小さな小説であるが、応答は倍の頁数を費やしている。この応答が本当に圧巻である。

多様な論述で、それをまとめることなど、とてもできない。著名な二人の応答を紹介したい。チベット仏教者のダライ・ラマ−「自分自身と人類に対し、残虐行為を働いた人々を赦すべきであると私は信じている。しかし、これは、必ずしも残虐行為を働いたことを忘れることを意味するものではない。」 南アフリカのノーベル平和賞を受けたデズモンド・ツツ大主教−「我々が懲罰的な正義だけに目を向けるなら、やがて委員会の活動は開店休業になるはずであることは火を見るより明らかである。赦しは物事をあいまいにさせることではない。それは現実的な政治である。赦しなくしては未来はない。」

 ヴィーゼンタールはカールを赦せないし、その権利もない。ただホロコーストを深く記憶せよ、だと思う。