牧師室より

岐阜県の明泉寺の住職であった竹中彰元氏1937年に「戦争は罪悪だ、人類に対する敵である。止めた方が賢明である。」「此の度の事変に就いて他人は如何考えるか知らぬが、自分は侵略のように考える。徒らに彼我(ひが)の生命を奪い、莫大な予算を費(つか)ひ、人馬の命を奪うことは大乗的立場から見ても宜しくない」と語った。検挙され、禁固4ヶ月の有罪判決を受けた。また、本山からも布教師の資格を奪われ、最下位の僧に貶められた。家族や門徒の嘆願、説得に接しても、信念を曲げず、戦争終結まで7年間の謹慎に耐え、敗戦直後の10月に78歳で逝去された

若い僧侶が竹中氏の言動を研究し、ようやく知られるようになり、昨年本山も名誉回復を認めた。NHKの教育テレビで放映され、竹中氏の深い識見と負った苦悩と揺るがない誠実さに感銘を受けた。

コメディアンの植木等さんの父親である僧侶の徹誠氏は召集令状を受けた若者に対し、「戦争というのは集団殺人だ。君はその片棒担ぎに行くのだから、相手を殺しちゃいかん。君も周りをよく見て、ここなら弾がきそうもないところへずっと隠れていろ。それで必ず生きて帰ってくるんだぞ。死んじゃだめだぞ」と語ったという。そのため、未決で2年、刑が決まって2年、投獄された。

宗教者の使命とは何か。戦争責任をどう考えるか。今の時代をどう見、どのように関わるか。色々と考えさせられる。二人の僧侶が体験したような、言葉が封じられる社会にしてはならないことだけは確かである。