◇牧師室より◇

「私は貝になりたい」は幾度か映画化された。私は、フランキー堺と所ジョージが主演した映画を観た。理髪店主が徴兵され、戦地で上官の命令により捕虜を殺害した。戦後、その罪が問われ裁判を受ける。上官の命令は天皇の命令で拒否できない。自分の責任ではないと言うけれども、認められず、「私は深い海の底の貝になりたい」という言葉を残して、絞首刑に処せられていく。この映画はBC級戦犯の悲劇を多くの人に知らせることになった。

 A級戦犯とされた東條英機、広田弘毅などは「東京裁判」で裁かれ、7名が絞首刑になった。BC級戦犯の裁判はアジアの各地で2244件起こり、5700人が起訴され、このうち984名が絞首刑や銃殺刑を受けている。A級戦犯に比べて圧倒的に多い。抑圧を受けたアジア民衆の怒りが爆発した公開裁判の中で、誰が何を裁いたのかも分からず、裁かれた本人も理解できずに死刑になった人もいる。「私は貝になりたい」の主人公のように憤懣やるかたない思いで刑死した人もいる。日本がアジア民衆を苦しめたことに対する「贖罪の死」として死刑を受けとめた人もいる。私は、BC級戦犯に対し、ただ可哀そうであったという感情論ではなく、正確に事実を解明していく時、アジア・太平洋戦争の実態が浮き彫りにされるのではないかと思っている。

 平和講演に来てくださった内海愛子先生が、昨年の10月に「キムはなぜ裁かれたのか 朝鮮人BC級戦犯の軌跡」を上梓している。兵隊、また軍属として戦争に協力した朝鮮人148名が有罪判決を受け、そのうち23人が死刑になっている。

日本軍は捕虜の扱いを決めたジュネーブ条約を無視し、連合軍捕虜の25%を死亡させた。戦後、異常に高い捕虜死亡率が問われ、糾弾された。兵隊は捕虜の監視を良い仕事とは思わなかった。朝鮮人を徴用し、監視と監督の仕事に就かせた。彼らは日本兵に殴られたのと同じ方法で、病気や怪我をした捕虜を殴り、強引に作業に当たらせ、虐待した。その責任が個々人に厳しく追及された。また、彼らは「対日協力者」として祖国にも帰ることができなかった。二重、三重に屈折した朝鮮人「キムさん」の苦悩を描き出している。

戦争とその責任問題は60 年経ってもまだ終わっていない。