◇牧師室より◇
20年ぶりくらいの九州旅行を妻と共にした。目的は三つ。一つは神戸の舞子で行われた中学校の同窓会に出席するためである。大分県杵築市の中学校を卒業したが、関西に住む人たちが中心になって計画し、持たれた。今までに何回か持たれていたが、出席したことはなかった。今回は、なぜか「ファイナル」と名づけられていたので、出席することにした。51年ぶりの再会である。懐かしいの一言に尽きる。半世紀経っても、少年・少女時代の面影は十分に残っている。小・中学校の9年間、同じ学校で体験した楽しかった出来事などを語り合った。また、67歳になっているので、それなりの人生を歩んできている。尽きない話に一晩を過ごし「ファイナル」の言葉は消え去り、再会を約束して別れた。
二つ目の目的は私の育った家と洗礼を受けた母教会を訪ねることである。私の家族は旧満州から引き揚げてきた。何の財産もなかったが、屋敷と古い家と倉があった。その家の近くを川が流れていた。川は蛇行しているので、台風が来ると増水し、氾濫する。川幅を広げて海まで真っ直ぐに改修しなければならず、立ち退きが求められた。私の家は新しく作られた土手の中に埋もれ、全くなくなっていた。学んだ小学校や遊んだ神社や釣りをした池などを歩き回った。空気の匂いがとにかく懐かしかった。高校生時代に通っていたお寺も訪ねることができた。当時の住職は他界しておられたが、若い住職とお茶をいただきながら「仏教研究会」が持たれていた部屋でしばらく話した。また、悩みながら歩き回った道々を追って、車で走った。
私の人生の新しい出発点になった母教会を訪ねた。79歳になる牧師もご健在である。会員数の少ない教会であるが、スペイン風の素晴らしい礼拝堂と幼稚園々舎を信仰を込めて建ちあげている。教会員の高齢化が進み、また少子化で園児も減っているそうで、いささかの不安は残る。
杵築市の町並みはすっかり変わっていた。武家屋敷や石段の坂道がテレビに放映されて、有名になったそうで、観光客も増えたという。案内してもらったが、そこは昔のままであった。妻が言う「センチメンタル・ジャーニー」を満喫した。
三つ目の目的は前々任地であった教会の一泊研修会に参加することであった。Nさんのご主人のご逝去の報を受け、急遽、帰浜した。意味深い旅行ができて感謝である。